1957/6/19 | 横浜市鶴見区で誕生。その当時の家業は豆腐屋だったらしい。 |
1980/4 | 水中造形センターに入社。大学時代ダイビングが趣味だったことと、世界中を飛び回る仕事に憧れ、ダイビングの専門誌「マリンダイビング」の編集者となる。 |
1981 | より現場に近づきたいという気持ちから、編集より撮影に転向を考える。自然写真家を目指し、フリーランスのカメラマンとなる。しかし、しばらくは撮りたい題材が撮れなかった。 |
1983 | イリオモテヤマネコをモチーフにした作品づくりのために、西表島への移住を決意する。目標は、今だ誰も撮ったことのないイリオモテヤマネコの親子連れの写真だった。 |
1985/5 | イリオモテヤマネコの撮影のために沖縄県・西表島へ移住。 |
1988/4 | 動植物の専門学校・マッキー総合学園(現在は廃校)の非常勤講師となる。学生に西表島の自然をインタープリテイトすることで、自分自身が島の自然について学ぶことになる。 |
1990/12 | 念願であったイリオモテヤマネコの親子の撮影に成功する。 |
1991/9 | 日本体育大学の西表島キャンプ実習の講師をつとめる |
1994/8 | 西表島を引き上げ、横浜へ戻る。亜熱帯の島西表島に10年間暮らしたことで、その先にある熱帯の地に強い興味をもち、熱帯雨林へ行く準備を開始。 |
1995/4/21 | 川口グリーンシティ・ジャスコ店にて、写真展「イリオモテヤマネコ」を開催。及び講演会。 |
1995/7/24 | 川口グリーンシティ・ジャスコ店にて、写真展「ワンダーランド西表」を開催。及び講演会。 |
1995/10 | ライオンズクラブ羽田で、「西表島の自然」の講演。 |
1996/2/28〜4/5 | 初めての熱帯雨林。「船の科学館」で開催する写真展のためにボルネオ島へ撮り下ろしに行く。 |
1996/4〜5 | 板橋区立熱帯環境植物館にて、写真展「はるかなる生態系 西表島」を開催。 |
1996/7/20 | 「船の科学館」で、写真展「ボルネオ島ネイチャーフォト紀行。ボルネオの海中で熱帯雨林が見えた」を開催。及び講演会。 |
1996/7 | 「葛西臨海水族園」で「西表島の自然とマングローブ」について講演。 |
1996/12 | 川をテーマにした雑誌「FRONT」の仕事で、タイへ行く。この時のテーマはマングローブで、沖縄のマングローブしか知らない私にとって、見識が さらに広がった。タイでは、マングローブ自然や日本人のNGOと地元の人の植林活動を取材。 |
1997/1 | TV番組の仕事でボルネオ島・サバ州のダナンバレーの熱帯雨林へ行く。自分が勝手に想像していた熱帯雨林の姿がここにあったので、びっくりした。以後この森にはまってしまう。 |
1997/4 | 大阪の専門学校で「自然生態系」について特別講義をする。 |
1997/6 | TV番組の仕事でブラジルのアマゾン、パンタナール湿原に行く。俳優の故・三浦洋一と共演。この時初めてアジア以外の熱帯雨林に触れた。 |
1997/9 | 旅行会社・朝日サンツアーズの企画した講師付きツアーの講師として西表島へ行く。ちなみに写真の講師ではなく、自然生態系のインタープリターとして同行。学生相手にフィールドで講義していた経験が生きる。この様な人間相手の仕事もまんざら嫌いでもないことに気づく。 |
1997/11 | 雑誌の仕事でタイへ行く。「マングローブ」もライフワークの一つだったので、その生態及び日本のNGOがタイで行ったマングローブ植林活動を取材した。 |
1997/12 | 青山ブックセンターにて、沖縄亜熱帯マルチメディア写真展を開催。写真家の湊和雄氏と2人展。この時の展示した写真はすべて画像をプリントしたものだった。 |
1998/2 | 時計のブランドメーカー・オメガより、「第一回オメガアワード賞」を受賞。この賞は地球環境に独自のスタンスで取り組んでいる人が選考され、故ジャック・モイヤー、立花隆、倉本聡、喜納昌吉、村山由佳(敬称略)と共に受賞。 |
1998/6 | TVの仕事で、かねてから憧れの地であったコスタリカへ行く。アマゾンに続き、新熱帯区の熱帯雨林に存分に触れることとなった。同じ熱帯雨林でもアジアのものとの違いが新鮮だった。 |
1998/10 | 千葉県主催・低公害車フェアで「ボルネオの自然と世界の異常気象」について講演。 |
1998/12 | 雑誌の仕事でニュージーランドへ行く。個人的には、オセアニアの自然に初めて触れると同時に、北島がマングローブの分布の南限であるため、それが確認できたのが収穫であった。 |
1999/3 | 旅行会社・朝日サンツアーズの企画した講師付きツアーの講師としてコスタリカへ行く。 |
1999/4 | 旅行会社・朝日サンツアーズの企画した講師付きツアーの講師として再び西表島に行く。 |
1999/4 | 小学館の学年誌「小学一年生」の仕事でボルネオ島へ行く。世界最大の花ラフレシアを撮りにいった。 |
1999/5 | JALの機内誌「ウインズ」の仕事で、ボルネオ島へ行く。サラワク州のムルとサバ州のダナンバレーを撮影する。どちらも個人的に大好きな場所で、それがそのまま企画となった。ムルは後に世界遺産に選ばれた。 |
1999/7 | 雑誌の仕事でコスタリカへ行く。テーマはエコツーリズムだった。コスタリカは国を挙げてエコツーリズムに力を入れている。念願かなって、その立て役者の一人であるペンシルバニア大学教授のダニエル・ジャンセン氏に会うことができた。 |
1999/11 | 雑誌の仕事でフィジーへ行く。島一つがリゾートになっている高級リゾートを取材する。これまで生き物ばかりを撮ってきたが、旅ものの取材も好きだ。しかし、職業病なのか、動植物をすぐに目で追ってしまう。海岸付近の植物には、沖縄で見られるものが多数あった。 |
2000/2 | 雑誌の仕事でボルネオ島へ行く。サラワク州にあるイバン人のロングハウスを取材する。それまで自然そのものにしか興味をもっていなかったが、人も自然の一部であり、大自然の延長線上にあるという考えが芽生え、このころから人間の取材も増えてくる。 |
2000/5 | 旅行会社・朝日サンツアーズの企画した講師付きツアーの講師としてボルネオ島のダナンバレーへ行く。この時、ツアーの参加者と一緒にイチジクの果実に集まるたくさんの動物達の姿を見る。これがきっかけとなり、熱帯雨林の林冠へ挑戦することを決意した。 |
2000/6 | 世界文化社の雑誌の仕事で南アフリカへ行く。メインテーマは、南アフリカの超高級サファリロッジだったが、個人的には、ヒョウに会いたかった。ヒョウやライオンなど私の好きなネコ科の動物を思う存分撮影することができた。それにしても、サバンナで見るヒョウは本当に美しかった。 |
2000/7 | 林冠へ行くための訓練を開始する。熱帯雨林の林冠は30m以上木に登らなければならないので、京都大学の熱帯雨林研究グループから、大木に昇る方法の一つである、シングルロープテクニックを学ぶ。 |
2000/8〜9 | 雑誌の仕事で、カナダのイエローナイフへ行き、オーロラを撮影する。オーロラもさることながら、個人的には、森林の限界線を見ることができて満足だった。森を中心に今まで撮ってきたこともあり、地球上での森の切れ目が見たかったのだ。 |
2001/3 | 小学館の学年誌「小学一年生」の仕事でタイへ行く。恐竜の発掘現場の撮影だ。このあたりから生きた生き物だけでなく、化石にも興味を持つようになる。化石から現在生きている生き物のつながりを想像するのが楽しい。 |
2001/4 | 雑誌、”山と渓谷社”の仕事で、マダガスカル島へ行く。個人的には、また行きたい場所のトップ3にランキングできるほど、おもしろい島だった。是非、また機会をもうけていきたいと思っている。 |
2001/5 | 個人的にボルネオ島へ行く。日本で習ったツリークライミングを実践する。いきなり40mを登り、オランウータンの撮影に成功する。 |
2001/6 | 雑誌の仕事で再びボルネオへ行く。サラワク州にあるイバン人のロングハウスを取材する。村で熱帯病にかかり、シャーマンの世話になる。帰国してから10日間入院した。 |
2001/8 | 雑誌の仕事で、ロシアのカムチャッカへ行く。森林形態は北海道に似ているが、さらにスケールを大きくした感じだった。 |
2001/9〜10 | ボルネオ島ダナンバレーへ行く。連日のように50mの木登りに明け暮れ、 野生動物を相手に撮影を続ける。 |
2003/5/18 | TBS 「情熱大陸」放映。 |
2003/6 | 雑誌の仕事でパプアニューギニアへ行く。オセアニアの本格的な熱帯雨林に初めて触れる。 |
2004/4 | 小学館の学年誌「小学一年生」の仕事でマレーシアのキャメロンハイランドへ行く。カブトムシとクワガタムシの撮影。 |
2004/6 | 文藝春秋の仕事で、西表島へ行く。この年は台風が多く、この時も逃げ帰る。 |
2004/7 | 朝日新聞社の「司馬遼太郎街道をゆく」の取材で、作家の島田雅彦氏と沖縄を取材し、さらに石垣島から台湾へ渡り取材する。 |
2004/9 | 日本体育大学のキャンプ実習で西表島へ行く。 |
2004/10 | シマフクロウの撮影で北海道へ行く。 |
2004/10 | 雑誌の仕事で沖縄の黒島へ行く。水中の撮影だったが、思ったより水温が低く、南の海でこごえた。 |
2005/1 | 雑誌の仕事でボルネオ島へ行く。キナバル山(4095m)に登頂。高山病になりかけた。 |
2005/1 | 帰国してすぐに西表島へ行く。友人の写真家がイリオモテヤマネコを撮影するための助っ人をする。 |
2005/2 | 朝日新聞社の「司馬遼太郎街道をゆく」の取材で、作家の島田雅彦氏と北海道のオホーツク沿岸を回る。−20度の中、カメラが動かなくなることもしばしばあった。 |
2005/3 | 自身のオフィシャルホームページを開設。http://www.yamaneko.biz |
2005/3 | 小学館の図鑑NEO「カブトムシ クワガタムシ」の仕事でインドネシアのスマトラ島へ行く。スマトラ島ではコーヒー園農家の家に寝泊まりした。赤道直下だが、標高が高いので日が落ちるとかなり冷える。初日は寒くて眠れなかった。 |
2005/4 | 旅行社の仕事で、パプアニューギニアへ行く。3000m級の山を越え、徒歩で小さな村を訪ねた。村で大きな歓迎を受け、滝をいただいた。滝はYOKOTSUKA WATERHALLと改名されている。 |
2005/5 | 雑誌の仕事で台湾へ行く。ムシキングのバトル撮影。今回は台湾編。全体にムシが小ぶりだったせいもあり、今ひとつ盛り上がりに欠けた。 |
2005/6 | 小学館の図鑑NEO「カブトムシ クワガタムシ」の仕事でコスタリカへ行く。樹上でゾウカブトが樹液を吸う姿を撮影できた。 |
2005/7-8 | 図鑑の仕事で所沢周辺のカブトムシの撮影をする。また樹上の撮影。今回のテーマは雑木林。 |
2005/9 | 日本体育大学のキャンプ実習で西表島へ行く。 |
2005/10 | 雑誌の仕事でパプアニューギニアのセピック川へ行く。クルージングをして村々を訪ねるのだが、彼らの作る原始アートは素晴らしかった。 |
2006/2 | JTAの機内誌「コーラルウェイ」の仕事で、沖縄の石垣島へ行く。テーマは石垣島でバードウォッチング。石垣島の野鳥たちが生き生きとした姿を見せてくれた。 |
2006/3下旬-4 | 「ボルネオ・ネイチャーブック」山と渓谷社刊の仕事でボルネオ島・キナバタンガン川へ行く。1ヶ月以上にわたって、ボルネオのサバ州を駆けめぐった。個人的には、秘境・インバックへ行けたのがうれしかった。 |
2006/5 | 雑誌の仕事でエクアドルにヘラクレスオオカブトの撮影に行く。あやしげな現地のコーディネーターが、取材を盛り上げた。 |
2006/9 | 日本体育大学のキャンプ実習で西表島へ行く。毎年恒例のキャンプ実習。今回のハプニングは、1つのテントに5人で眠ったことだった。ちなみにボクの隣は身長が2mの大男。彼が寝返りを打つ度に、戦慄を覚えた。 |
2006/10 | 雑誌の仕事で中米・ホンジュラス、グアテマラへ行く。コパンやティカルなどの遺跡と巡り、マヤの人々の生活に触れる旅だった。 |
2006/10 | 雑誌に仕事で日光へ紅葉の撮影に行く。紅葉の撮影なのだが、もうほとんど紅葉は終わっていた。何とも、トホホホの撮影行だった。 |
2006/11 | 雑誌の仕事で与那国島へ行く。電波時計が日本最西端の与那国島で使えるという撮影。1泊2日の強行撮影行で、この時期にしては奇跡的に天気に恵まれた。ちなみに、我々が引き上げた翌日は嵐だったそうな。 |
2007/4 | 雑誌の仕事で北海道の旭山動物園へ行く。かねてから行ってみたかった動物園。アザラシとペンギンの見せ方が、やはりおもしろい。雪がちらつく中、モデルの子供達はTシャツでがんばってくれた。 |
2007/5 | 雑誌の仕事でインドネシアのバリ島へ行く。ムシキングの撮影だ。今回はクワガタ最強決定戦。やっぱりギラファノコギリクワガタは強かった。試合中負傷者続出の大波乱だった。 |
2007/5-6 | 雑誌の仕事で沖縄の西表島へ行く。雑誌は2誌、1つは子供向け、もう一つは大人向けだった。当然写真のテイストがあまりにも違うので、撮り分けなければならない。このときであったリュウキュウアカショウビンが、何とも愛らしかった。いい写真が撮れた。 |
2007/7 | 雑誌の仕事で群馬県の水上へ行く。ウエットスーツを着て急流を滑り降りるキャニオニングの撮影だ。同行の女性記者が奮闘。 |
2007/7-8 | ボルネオ島へオランウータンとボルネオゾウの撮影に行く。たった3週間の撮影旅行だったが、中身が濃く実りのあるものだった。野生のドリアンを食べるオランウータンを撮影できた。 |
2007/9 | 日本体育大学のキャンプ実習の講師として西表島へ行く。今年は大雨に降られ、目的地の手前でビバークする羽目にあった。お陰で実習としてはいいものになった。 |
2007/9 | 群馬県立ぐんま昆虫の森で、講演。テーマは「熱帯雨林の一日」。終了後にたくさんの質疑応答をいただいた。 |